エキスパートコメント

国際経済社会法の観点から見た米国トランプ政権による関税措置

2025年07月25日

(公財)世界人権問題研究センター
プロジェクトチーム5リーダー
吾郷 眞一

はじめに

 トランプ大統領が自由、平等など米国憲法の基礎となっている基本価値を顧みず独裁的な統治をおこなっているとの批判を聞かない日はありません。外国人やLGBTQ 差別を筆頭に各種の国内諸方策が、不当であり人権侵害であるとする言論は、数えるのに暇がないですが、トランプ政権下での米政府の諸政策は、米国内だけでなく、世界の政治・経済・社会に大きな衝撃を与えています。そのうち諸外国を巻き込む最大なものが関税措置でしょう。世界中に大きな衝撃を与えているその「相互」関税なるものを、国際経済法、国際人権法の判断基準(参照:拙著「国際経済社会で平和を創る」・信山社2022)を通して見ていくとどのような意味を持つのか、というのが本稿の主題です。
 トランプ大統領は、違法であると言われれば、法が間違っている、あるいは法を解釈する裁判所が間違った法適用をしている。はたまた、はっきりとした事実誤認を突き付けらたら、その事実はフェイクである、という対応をする人ですので、ここで、法的に問題があるということを確認してみても、あまり意味も持たないとも言えます。しかし、この関税措置は、法的に問題であるだけでなく、世界経済、世界平和にとって、極めて危険な方向性を持つことの認識は重要です。諸方策の結果として権利侵害を受ける国や個人としては知っておく必要があります。朝令暮改的な関税政策の最終的な着地点は、現時点では予測不可能なところがありますが、一旦振り上げた拳は簡単に下すことはできず、税率の多寡は別として、当面は「相互関税」政策は続くと見込まれます。

1.「相互」関税の合法性

 まず、米国政府が言う「相互関税」(reciprocal tariffs)の「相互」は使い方が誤っていることから確認しておきましょう。相手国が関税をかけてきたから、報復としてかける関税が相互関税であり、(今回、中国が米国に対して報復としてかけた関税こそが相互関税です)貿易収支が赤字だから、それに対抗するものとして関税をかけるというのは、一方性を隠すための方便であり、ニュースなどでそのまま表現されているのは残念です。(一部の報道では「相互」にカッコが付けられています。それが正しい報道の仕方です。)ただ、そのような表現をトランプ政権が使うのは、ちょうど武力攻撃(侵略)を自衛権の行使と位置付ける侵略する側の論理であるように、正当性を主張したいがための修飾語であると考えるならば、トランプ政権には、今回の関税措置が何らかの問題性を持つものという認識(うしろめたさ)があるようにも思われます。その意味では、完全に法の支配を無視しているとは言えないかもしれません。
 そもそも、関税をかけること自体は、国際法上禁止されていません。逆に、主権国家にとって、関税自主権がその主権行使の重要な要素であることは、明治政府が不平等条約を改正するために多大な努力を払ったことを知っている私たちにとって、よく理解できることです。また、世界貿易機関(WTO)の枠組のなかでも、貿易の数量制限は禁止されますが、関税をかけて輸入に制限を加えることは許されています。専門用語では「関税化は許される」といいます。
 しかし、きわめて高い税率となって、それが事実上の数量制限(貿易制限)になってくるのであれば、それが自由貿易原則に反することになるのは明らかです。第2 次世界大戦後、米国が主導して出来上がったブレトンウッズ体制が目指したのが、平価の安定(国際為替の安定)と自由貿易の促進であり、GATT(関税と貿易に関する一般協定)とそれを包含して出来上がったWTO の理念は、関税一括引き下げ交渉(ケネディーラウンド、東京ラウンド、ウルグアイラウンドなど)といった多角主義に基づく自由貿易体制の構築であったことは言うまでもありません。そして、その大きな推進者は米国でした。国際通貨基金(IMF)や世界銀行(IBRD、IDA、IFC)の本部は、ワシントン市内にありドルを基軸通貨として運営されています。
 GATT/WTO や関税同盟としてのEU などの世界的・地域的経済統合を理論的にバックアップする、経済学上の「公理」であるところの「比較優位の法則」を信頼する限りにおいて、ブレトンウッズ体制下での貿易秩序は、自由貿易と多角化(ブロック経済を廃し、世界共同市場を念頭に置いた、経済紛争解決の多角化(基本的に国連とWTO の舞台の上で貿易紛争を解決するというもの)が基本原則です。関税化(及びその他のいくつかの特例)を緊急避難的な例外として認めているものの、WTO 加盟国は、自由貿易を推進することを、国際法上の義務として受け入れていると言えます。米国も、(現在のところ)WTO の加盟国ですので、結果的に自由貿易を阻害する措置をとれば、WTO 憲章という国際経済法に違反することになります。
 「相互関税」の相互性を主張する現米国政府は、米国製品を輸入しない国の非関税障壁を非難し、それに対抗するものとして関税を課すという「相互」性を主張しますが、それはWTO の紛争解決制度の枠組み内で解決すべき別次元の話であり、実質的に数量制限になるところの関税化措置の正当化理由にはなりません。そもそも、自動車についての米国側の主張には、理由にならない事由が挙げられています。トランプ大統領が、日本に行ったとき、道に米国車が一台も走っていなかった、そこにはどこか故意に輸入制限をしている理由があるだろうというわけですが、日本の道にはドイツ車をはじめとする欧州車は多く走っており、米国車を見かけなかったのは単に米国車が競争力に劣っていただけの話です。米国は、以前Kodak 社のフィルムが日本で売れない理由として、「大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律」(通称「大店法」)があるためという理由をたて、日本をWTO の紛争解決機関に(WTO 専門用語でいうところの非違反申立という手続きに則って)提訴し、負けたことがあります。プロの写真家に聞くと、Kodak 社のフィルムが日本で売れなかったのは、単にフジフィルムの質がよかっただけ、ということで、自動車も同じです。米国車の燃料消費を抑えることができれば、全く状況は変わるでしょう。その証拠に電気自動車テスラは、かなり普及しています。車体が大きいジープさえも、かなり見かけます。こういった誤った認識に対して、即座に反論する必要がありますが、ワシントン詣でをして関税廃止を交渉している日本政府は、このあたりしっかり説明しているでしょうか。

2.途上国に対する過度な関税は国際経済法及び国際人権法に反する

 日本やEU といった先進工業国に対してかける関税は、それらの国での経済成長の鈍化や失業率の増加など、マイナスではありますが、税率によっては甘受可能かもしれません。しかし、中小の途上国にとっては、その国の経済全体に致命的な影響を及ぼすことがあり得ます。換言すれば、発展の権利を侵害し、国際人権法に反するということができます。発展の権利が実定国際法として確立しているかどうかについては議論があるところかもしれませんが、実際の国家実行として、途上国に対しては、特恵関税(関税をゼロにするはあるいは低減する)ということが行われています。途上国と先進国との間に「共通だが差異ある責任」という非対称な関係があり、関税に関して途上国、特に最貧国に有利な関税率を設定するという原則は、国際経済法上の慣習法的に成立していると言っていいでしょう。EU とアフリカ諸国、中米諸国との間の貿易協定には、非対称の関税率が設定されています。日本も1971 年以降、一般特恵制度を導入しています。し
かし、米国はすでに数年前から特恵を廃止していますが、今回の「相互関税」は、それに追い打ちをかけるように、無差別に全世界的に適用され、途上国、最貧国も例外ではありません。
 国際人権法体系の中で経済・社会・文化的諸権利も自由権的権利と並ぶ性質をもつものとしてとらえられるようになってきており、当初の自由権=第一世代、社会権=第2 世代の人権という分離方法には、あまり意味がなくなってきていると言われています。とすれば、経済社会権の享受に影響を与える今回の関税措置は、広い意味で人権侵害と言えます。

おわりに

 トランプ政権が掲げる標語MAGA(Make America Great Again)は、米国以外はどうなっても良いと翻訳することができますが、この標語は、例えばILO 憲章に掲げられた「一部の貧困は、全体の繁栄にとって危険である」という認識の対極にあります。自国中心主義と多角主義の違いです。社会正義よりも自分だけの利益という発想は、戦争への前触れとも思えます。第2 次世界大戦の原因の一つに、自国さえよければいいという為替引き下げ競争があり、ブロック経済の生成をもたらし、結局は1929 年の世界恐慌に至って、全体主義が台頭し戦争が起きた、という事実はどの歴史教科書にも書いてあることです。MAGA 政策によって、歴史は繰り返すのでしょうか?誰もが心配になるような条件がそろっているように見えます。
 パスカル・ラミー元WTO 事務局長も、同じような危惧を当初持ったらしいですが、すぐに否定しています。世界の構造が100 年前とは違っており、米国の経済力も相対的に落ちてきている(現在、世界貿易総額の15 パーセントにすぎない)ので、大恐慌にはならないだろうと言っています。そのように思いたいところですが、国内的にも国際的にも人権侵害行政を続ける大統領が、本来的には自由・平等を憲法に掲げている国を率いていることは、他の大国も同じような状況下にあることと考え合わせると、決して安心できる状態ではないと言えるでしょう。経済だけではものごとを見ることはできず、人権の保障が平和にとって大切だからです。人権尊重が平和維持(創造)のための強靭(resilient)な抵抗力であることを再確認したいと思います。

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