エキスパートコメント
地方議会で起こったマイクロアグレッション
2025年05月01日
(公財)世界人権問題研究センター
プロジェクトチーム4リーダー
風間 孝
はじめに
愛知県のある地方議会において、昨年1 月、トランスジェンダー女性であることを公表して当選した市議会議員A に対して、同じ会派に所属する市議会議員Bが懇親会の場で「おっさんやないか」と発言したことが報道された。この発言によりA は、会派を離脱するとともに、自律神経失調症や不眠症を発症し、市議会議員としての職務に影響を受ける事態が発生した。
近年では、性的マイノリティであることを公言して当選する議員も増えている。また職場においても性的マイノリティが可視化しつつある。こうした状況において、この地方議会で起きたことと同様の問題が別の議会や職場でも生じている可能性がある。ここでは、この発言をマイクロアグレッションとして捉え、この発言の問題点を指摘したい。
マイクロアグレッションとは
マイクロアグレッションとは、2000 年代に入り、米国の心理学者によって提唱された概念である。この概念を提唱した心理学者の1 人であるデラルド・ウィン・スーは、マイクロアグレッションについて『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション』(明石書店、2020 年)のなかで「ありふれた日常の中にある、ちょっとした言葉や行動や状況であり、意図の有無にかかわらず、特定の人や集団を標的とし、人種、ジェンダー、性的指向、宗教を軽視したり侮辱したりするような、敵意のある否定的な表現のことである」と述べている。
ここで、「微細な攻撃」とも訳すことができるマイクロアグレッションの重要な2つの特徴を挙げたい。1つめは、マイクロアグレッションとは、特定の集団に対する敵意や軽蔑が、意識的に行われるだけでなく、無意識に行われることに光を当てる概念であるということだ。スーは、「加害者はたいてい、自分が相手を貶めるようなやりとりをしてしまったことに気づいていない」ことを指摘している。2つめは、マイクロアグレッションは、社会的に有利な立場にいるマジョリティが社会的に不利な立場にいるマイノリティに向けて発するからこそ、成立するという点である。マジョリティは社会的に有利な立場にいることを自覚していないからこそ、無意識にマイノリティを貶める言動を行うことが可能になる。
マイクロアグレッションの例をひとつあげる。法学者の金尚均は、ジョー・バイデン大統領候補が2008年に、民主党の大統領候補の座を争っていたバラク・オバマ氏に対して「彼は雄弁で、賢くて、そしてハンサムなメインストリームのアフリカ系アメリカ人が初めて現れたと思っているよ。彼はまるで絵に描いたような男さ」と語ったことをその典型例として紹介している。なぜならこの発言は、オバマ氏を称賛するつもりで行われたものであるが、「黒人にもかかわらず」、彼は絵に描いたような男であり、社会のメインストリームで活躍しているという侮辱を伴うメッセージを含んでいるからである(金尚均「マイクロアグレッションとハラスメント」『中京大学教養教育研究32』、2023 年)。
この発言においても、さきほど述べたマイクロアグレッションの2 つの特徴を見いだすことができる。1つめは、マイクロアグレッションが無意識に行われることが多いというという点だ。もしバイデン氏に、あなたの発言にはオバマ氏への侮辱が含まれていると指摘をしたなら、「そんなつもりはなかった」「気にし過ぎだ」という反応が返ってくることが予想できる。バイデン氏は無意識にマイクロアグレッションを行ったと考えられよう。2つめは、社会的に有利な立場にいるマジョリティが社会的に不利な立場にいるマイノリティに向けて発するからこそ、マイクロアグレッションが成立するという点だ。ここで注目したいのは、オバマ氏がバイデン氏に対して、マイクロアグレッションにもとづいた発言をすることは困難であるということだ。なぜなら、このような称賛に隠れた侮蔑は、社会的に有利な立場にいるマジョリティがマイノリティに対して向けるからこそ、成立するからである。
マイクロアグレッションが及ぼす影響
トランスジェンダーや同性愛者などの性的マイノリティに対し日々向けられているマイクロアグレッションの背景にあるのは、異性に惹かれることを当然とする異性愛規範や出生時の性に沿って生きるべきであるというジェンダー規範の存在である。性的マイノリティは、これらの規範から逸脱した存在であると考えられているためマイクロアグレッションの対象となるのである。これらの規範とは相容れないとみなされることで、性的マイノリティは、こうした規範を当然視するマジョリティから、身体的な暴力などの誰から見ても明らかな差別にさらされるだけでなく、ささいなこととしてみなされがちなマイクロアグレッションによる被害を受けている。
一般的に、マイクロアグレッションとみなされる言動は、ありふれてはいるがささいなこととされていることもあり、深刻な影響を及ぼすものではないと考えられている。だが、生涯にわたって継続的に発生することにより、その影響は蓄積され、甚大な結果をもたらしうる。具体的には、「受け手の自尊心を攻撃し、怒りと失望を引き起こし、精神的活力を枯渇させ、...また自分は価値ある存在だという感覚を低下させ、健康上の問題を引き起こし、平均寿命を縮める」という深刻な結果を招く。同様の結果は、いくつもの研究によって明らかにされている(スー 2020)。
じっさいに日本で行われた調査においても、不快な冗談やからかいといったマイクロアグレッションに相当する攻撃を経験する性的マイノリティの割合は高い。2023 年に実施された全国調査(「家族と性と多様性に関するアンケート」)によれば、「ホモ」「オカマ」「レズ」「おとこおんな」「オネエ」などの性的マイノリティにかかわる不快な冗談やからかいを経験した割合は、性的マジョリティに相当するシスジェンダー(=トランスジェンダーの反対であり、出生時に割り当てられた性と同じ性で生きることを望む人のこと)が6.7%、異性愛者が6.4%であったのに対し、性的マイノリティであるレズビアン・ゲイ・バイセクシュアルは25.4%、トランスジェンダーは34.4%であった。レズビアン・ゲイ・バイセクシュアルは異性愛者より3.8 倍、トランスジェンダーはシスジェンダーより5.1 倍と経験割合が高かった。
またマイクロアグレッションにさらされやすい状況は、性的マイノリティのメンタルヘルスに危機的な状況をもたらしている。2019 年に実施された大阪市民を対象にした調査(「大阪市民の働き方と暮らしの多様性と共生にかんするアンケート」)によれば、「自殺について考えたり、ほのめかす行動をとった」りした割合は、シスジェンダーの異性愛者が7.2%であるのに対して、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアルが29.0%、トランスジェンダーが37.5%となっており、シスジェンダーの異性愛者と比べると、それぞれ4.0 倍、5.2 倍高くなっている。つぎに「自殺を図った」割合では、シスジェンダーの異性愛者が1.5%に対して、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアルが9.7%、トランスジェンダーが15.6%となっており、シスジェンダーの異性愛者と比べて、それぞれ6.5 倍、10.4 倍高くなっていた。このように、日本社会でも性的マイノリティは、マイクロアグレッションを受けやすい環境の中で、メンタルヘルスを悪化させても不思議でない日常を生きているのである。
議員B の発言がマイクロアグレッションである理由とその影響
報道によれば議員B は「おっさんやないか」という発言を、「みんなとA さんのキャラを共有して距離を縮める」ための善意にもとづくものだったと釈明している。しかし議員A は、治療を受けるほどの精神的ダメージを受けている。B にとっては「ちょっとした言葉だった」かもしれないが、A にとってこれらの発言は、軽視や侮辱、敵意をともなう否定的な表現だったのである。
またB の発言は、先に述べたマイクロアグレッションの2つの特徴を示している。まずその発言は、善意にもとづくとの釈明している点で無意識に行われた可能性をもつ。だが、その発言は、A の性自認を否定するものであり、A を侮辱している。つぎに、B によるマイクロアグレッションの背景にあるのは、社会に存在する、出生時の性に沿って生きるべきであるという無意識に根付いたジェンダー規範であり、規範に沿って生きる者が優位であるという無意識の見下しである。このことは、トランスジェンダーである A が、性のあり方に関して男性のB を見下すことが現実的には成立しないことからも明らかであろう。
A に対するマイクロアグレッションは、無意識に発せられた「ちょっとした言葉」であったとしても、そこには上下関係にもとづく侮辱と貶め、そしてA の性自認の非承認を含んでいる。女性の性自認を持つ A に対して「おっさん」であると繰り返すことは、女性として生きたいと望むA のアイデンティティの否定である。トランスジェンダーである A に対する性自認の非承認は、これまで女性として生きてきた人生をも否定するものだったからこそ、A は疾患を発症するほどのダメージを受けたのである。
おわりに
A の性自認を否定したマイクロアグレッションは、日常的に顔を合わせる議員同士の関係性のなかで生じたジェンダー・ハラスメントでもある。日常的な関係性の中で生じた望まない性的な言動に対して、その問題点を指摘し、抗議することは簡単なことではない。議会という、ある意味ではA にとっての職場で生じたマイクロアグレッションは、本人のアイデンティティやこれまでの人生を否定したというダメージに加えて、それが議会というA にとっての日常の中で生じたがゆえに、多大なストレスを与え、深刻な影響を及ぼしたのである。