エキスパートコメント

紛争地とビジネス ‐経済制裁とのかかわり

2023年01月30日


(公財)世界人権問題研究センター
プロジェクトチーム5リーダー 
吾郷 眞一

 一昨年に起きたミャンマーでのクーデターや、昨年初めから続いているウクライナ戦争は、それらの国々に関連するビジネスを行っている企業活動に大きな影響を与えています。ミャンマーやロシアでの事業から撤退すべきなのか、財・サービスの提供は控えなければならないのか、その他の紛争地域からはどうなのか、といった問題に企業は直面しています。この問題を国際法の観点から見ると、どのように理解されるのでしょうか。

1.まず、現在も毎日のように戦闘状況が報道されているウクライナ問題から考えてみましょう。この戦争の原因を作ったのはミンスク合意を守らず、また、東部のロシア語系住民を弾圧してきていたウクライナにある、という議論はあるものの、昨年2月に始まった「特別軍事作戦」が国際法的に見た場合「侵略」に該当し、したがって国連憲章違反であり、一般国際法違反でもあることは国連総会が圧倒的多数で認めています。これに基づいて西側諸国が様々な軍事援助をウクライナに対して行うと同時に経済制裁を科していることは、国際法的には違法行為に対する対抗措置として容認できると考えられます。ただ、それは通常であれば違法となること(例えば、ロシア人および企業の財・サービスの差し押さえとか、WTO法上の権益を無効化する交易制限)の違法性が阻却される、という意味です。軍事支援の方はというと国連憲章上の集団的自衛権(ウクライナの要請に従い、ウクライナの自衛行為を援助する)を持ち出さないと説明がつかないでしょう。また、違法性が阻却されると言っても、直接ロシアによる「侵略」を受けていない国が経済制裁をすることの違法性阻却事由(合法性)を、どのように説明するかは、簡単ではありません。本来であれば、国連の集団安全保障機能が作動し、国連憲章に基づく非軍事的措置や、場合によっては強制措置が集団的に行使されることになるはずですが、今回は特に、拒否権を持つ安全保障理事会の常任理事国が侵略の当事者ということで、ほとんど機能しません。とすると問題は一般国際法に行き、「侵略をしてはならないこと」がerga omnes(対世的)な義務と考えられているので、いずれの国もそれに対して対抗措置を講じることができる、という説明がなされることになります。
 対ロシア経済制裁が国際法的に許されることになり、各国が交易制限を加える立法措置をとった場合、それに影響を被る企業はそれに従わなくてはなりませんが、それ以前に企業独自の判断で紛争地から撤退したり、取引をやめたりすることが散見されます。これらの行動は、何をもとにされるのでしょうか?いくつかの欧米の有名ブランドが、早々とロシアから撤退したことはニュースになりましたが、これは国が行う経済制裁の一環なのでしょうか?航空機の部品の禁輸は、その性質を持っていると言えますが、ハンバーガーチェーンや高級ブランド会社が引き上げることは違うでしょう。それは、それらの企業が、ロシアで営業することについてのレピュテーション低下を恐れているからと考えられます。「ビジネスと人権」という最近の考え方に依拠するならば、「大規模人権侵害を行っている地域に関わる経済活動の自粛」ということになるでしょう。なにせ戦争こそ、最大の人権侵害ですから。

2. 国連の「ビジネスと人権指導原則」は、人権について国や企業がやるべきこと、してはいけないことを原則の形で文書化しています。この指導原則と呼ばれるものは、いわゆるソフトローとして、国や企業の行動を規制しています。法的拘束力はないのですが、実際には様々な効果を及ぼします。その大きな柱は、企業による人権デュ―ディリジェンス(人権DD)(人権相当注意義務とでも訳せると思います)の実施と、それを促す国の義務です。
 最近のミャンマーの状況を見るとわかるのですが、赤裸々な人権侵害を行っている軍事政権を前に、企業も対応に腐心していることが見受けられます。国連指導原則によれば、人権侵害が著しい地域での営業や取引には注意しなくてはいけない、そのために企業の本国政府は、そのような地域で活動を展開する企業に対して、適切な助言をすべきであると言っています。すなわち同原則、第1部の第7項目「紛争影響地域において企業の人権尊重を支援すること」の中で「重大な人権侵害のリスクは紛争に影響を受けた地域において高まるため、国家は、その状況下で活動する企業がそのような侵害に関与しないことを確保するために...企業がその活動及び取引関係によって関わる人権関連リスクを特定し、防止し、そして軽減するよう、企業に関わっていくこと」や「重大な人権侵害に関与しまたその状況に対処するための協力を拒否する企業に対して、公的な支援やサービスへのアクセスを拒否すること」などを呼び掛けています。これは、国に対しての働きかけではありますが、企業もその結果として規制を受けることになるわけですから、企業自体にとっても行為規範になります。なぜ国に対しての働きかけにしているかというと、企業としてはそれが人権侵害に加担しないことになるのか、侵害国に対しての制裁的意味を持つのか判断がつかない場合があるから、それについて指針を与えるのは国の役割と言っているのです。つまり、企業が撤退したり規模縮小したりすることがかえって、一般人の被害を増大させることが懸念されるので、そのあたりを見極めた本国政府の助言が大事だというわけです。ミャンマーの状況では、特に軍と直接に関連しない企業である場合、撤退や、経営の縮小は一般市民の雇用削減あるいは失業の結果をもたらすので、撤退を躊躇するという考量が働くわけです。国連指導原則もそこまですべきだとは言っておらず、そのあたりの判断を本国政府がしてあげるように、と言っているわけです。

3.この国連のビジネスと人権指導原則ができる数十年前に、やはりミャンマーについて大きな出来事がありました。当時も軍事政権による大弾圧があったのですが、その時に当の軍事政権との契約の下に石油開発事業をしていたフランスUNOCALという大手石油企業が、OECD(経済協力開発機構)の下に置かれたフランスのナショナル・コンタクトポイント(NCP)により、この事業はOECD多国籍企業ガイドライン違反であるという認定をしたのです。NCPは政府ではありませんが、政府間国際機構であるOECDの下に設置されたフランス政府組織の一部です。今日の国連指導原則が言う国による指導に近いものと想定することができます。NCPの判断に強制力はありませんが、その石油会社は、レピュテーション悪化を懸念して、ミャンマー事業から撤退しました。

4.当時のミャンマーでは、さらにもっと明確な形で国際組織による経済制裁が勧告されていました。ILOの強制労働禁止条約違反問題で、ILOでの苦情手続きが完了し、その帰結に従わないミャンマー政府に対しての経済制裁が、ILO総会によって勧告されていたのです。これはILO史上初めてのケースでしたが、多くの国と企業がこれに従い、ミャンマーとの取引を停止しました。国際機構による勧告ですから、法的拘束力はありません。しかし、これについて行われる措置(ミャンマーへの投資制限など)は従わなくてはならず、そのような措置を取っていない国の企業がその間を狙ってミャンマーに進出することが、ひんしゅくを買っていました。
 このILOの勧告はかなり効果があり、ミャンマーの民主化の(短期的)成立に貢献したと言われています。自宅監禁解放後のアウンサンスーチー氏が、直後のILO総会に招待され、感謝の言葉を表明しています。現在、再び同じ手続きが、今回のクーデターについて進行していますので、おそらく同じ経過をたどり、ILO史上2度目の経済制裁決議がなされることになるのではないでしょうか。そのときを待つまでもなく、現在いくつかの企業が撤退し始めているのは、OECDガイドライン、ILO基準、国連「ビジネスと人権指導原則」などが働きかけている、人権侵害に加担しないというソフトローに応じ、人権DD(人権相当注意義務)を実行に移しているとみなすことができます。


5.紛争地域における人権DDを実行する、といっても具体的な場面がそれぞれ違うので、何をどこまでやったらいいかということは、明白ではありません。先に紹介したミャンマーのように、その石油会社が行っているパイプライン敷設工事自体の中に強制労働が確認されたというような明白なものから、今回のウクライナのような、その事業自体は直接的に戦争に加担してはいないケースまで幅が広く、なかなかわかりにくいところがあります。経済制裁が単独の国の判断で行われている場合(たとえば、新疆ウイグル地区での強制労働を理由に米国が、その地域で生産された綿花が使われた商品を輸入制限する)などでは、問題がもっと複雑になります。人権DDを尽くして生産した衣類が陸揚げ拒否にあうのであれば、これはむしろ拒否国のWTO協定違反ということで、拒否をされた企業の母国は、その企業を守っていかなくてはならないでしょう。この辺りに、国連指導原則が政府に対して、いろいろと注意喚起をしていることが意味を持ちます。
 企業がどこまで人権DDを実施しなくてはいけないかについての指針は、特に紛争地域が関連する場合、政府に強くかかってきていると言えるでしょう。

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