エキスパートコメント

ドイツ・連邦司法庁訪問記

2023年04月28日


(公財)世界人権問題研究センター
プロジェクトチーム1リーダー
毛利 透

 私がリーダーを務める「インターネットと人権」チームでは、インターネット上の表現活動から生じる様々の人権問題を幅広く研究対象にしている。インターネットはグローバルな情報流通媒体であるため、当然ながら諸外国の法律や国際法上の規律も検討対象になる。日本で特に注目されている外国法の一つが、ネット上で一般人からの投稿を広く許す大規模プラットフォームに対して、名誉毀損やヘイトスピーチなど一定の違法表現の迅速な削除を義務づける、ドイツのネットワーク執行法(正式名称は「ソーシャル・ネットワークにおける法執行の改善のための法律」)である。同法は、違法投稿を通報する苦情が寄せられた場合、プラットフォームに対して、明白に違法な投稿については原則24時間以内に、その他の違法投稿については原則7日間以内に、削除するよう義務づけている。
 同法は2017年に制定され、翌年から本格的に施行されている。私は、同法施行から2年少したった2020年3月に、チームの松本和彦教授とともに、同法の執行を担当している連邦司法庁を訪問し、同法適用の実態について調査しようと考えた。担当課長にご快諾いただき、3月3日にボンにある連邦司法庁でインタビュー調査を行うことになった。しかし、2020年3月がどういう月であったか、読者の皆さんはなお鮮明に記憶しておられるであろう。出発直前のメールのやり取りでは、なお訪問に問題はないとの返事をもらっていた。だが、新型コロナがイタリアで爆発的に拡大しているという不吉なニュースに接しつつ飛び立った私に対し、まさにフライト中に緊急のメールが発信されていた。結局訪問調査はキャンセルされてしまい、ボン市内での電話インタビューということになった。今ならば、じゃあオンライン会議にしましょうとなるところだが、時代はなお「コロナ前」だったのである。訪問調査キャンセルへの落胆と、それをもたらした、世界を覆いつつある病魔への漠然たる不安を抱えながら、松本教授とライン河畔をかなり長く散歩したことをよく覚えている。
 連邦司法庁の方は、書面での質問に詳しい回答を寄せてくださったし、電話インタビューでも有益な情報が得られた。それでも、やはり心残りはあった。しかも、その後ネットワーク執行法には、連邦司法庁の権限拡大を含むかなり大きな改正がなされた。幸い私は、ようやく国際交流が本格的に再開され始めた2022年8月から9月にかけて、ドイツのフランクフルトに40日ほど滞在する機会を得た。そこで、再度連邦司法庁に訪問調査を依頼したところ、前回と同じ方が快諾してくださった。そして、9月6日に、ついに同庁の建物内での調査を実現することができたのである。お互いメールのやり取りは何度も繰り返してきたため、向こう側も「ようやく会えましたね」という感じであった(はず)。
 2度にわたる調査の内容について詳しく説明する余裕がなくなってしまった。ネットワーク執行法がプラットフォームに厳しい削除義務を課しているという理解は、もちろん間違ってはいないが、しかし同法のねらいを的確に表しているとも言いがたい。個別の削除義務違反は、過料による制裁の対象とはされていない。同法は、何よりもプラットフォームに対し、違法表現に対して有効な対処を行えるような体制を整えることを求め、その実態を公表するように求めている。連邦司法庁も、プラットフォームの個別の判断を監督するというよりも、それが法の条件に合った体制を構築し、削除の実態をごまかさずに公表しているか否かを見ている。プラットフォームの自由を尊重しつつ、違法な表現による弊害にも有効に対処しようとする工夫が見られると言ってよい。このような知恵の働かせ方を見ることができたことが、2度のボン訪問の収穫であったといえる。なお、同法についての私の詳しい分析は、判例時報2543・2544合併号に論文として掲載されている。

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