エキスパートコメント
トランスジェンダー女性のトイレ使用をめぐる最高裁判決について
2023年10月27日
(公財)世界人権問題研究センター
プロジェクトチーム4リーダー
風間 孝
7月11日、最高裁は東京高裁判決を破棄して、上告したトランスジェンダー女性(以後、X)の訴えを認める判決を下した。この判決は、裁判官全員が一致したものの補足意見を全員が記した点でも注目された。本稿では本判決の概要と意義を述べたい。
裁判に至る経緯
Xは1998年頃から女性ホルモンの投与を受けるようになり、翌年頃には性同一性障害の診断を受けた。2009年には経産省の担当職員に対して女性の服装での勤務や女性用トイレの使用について要望を伝えている。翌年、Xが執務する職場の同僚に向けて性同一性障害についての説明会が開かれた。経産省は、以後女性用の更衣室や休憩室の使用を認めたが、女性用トイレについては説明会時に違和感を持っていると思われる女性が3人ほどいたことから、執務階から2階以上離れた女性用トイレの使用を求めた。2013年、Xは人事院に女性用トイレを自由に使用できるよう行政措置を要求したが認められず、その取消を求めて2015年に裁判に訴えた。
裁判所の判断
第一審判決は、人事院の判定を違法とし、「自認する性別に即した社会生活を送ることができることは、重要な法的利益として」保護されると述べる。そしてトイレが生理的作用により日常的に必ず使用しなければならない施設であることから、自認する性別に対応するトイレを使用することの制限は「法的利益の制約に当たる」と指摘した。違法と判断した理由として判決は、①女性用トイレが他の利用者に性器等を露出する事態を生じさせにくい構造であること、②2010年以降、Xが女性用トイレを使用していること、③多目的トイレが障害者や高齢者の利用を想定していること等を挙げた。
第二審判決は第一審判決を覆し、人事院の判定を適法とした。判決は、性自認に基づいた性別で社会生活を送ることを「保護された法益」とすることに疑問を呈したうえで、戸籍上の性別が「法制の根幹をなす」との認識に立ち、Xは性別適合手術を受けておらず、経産省の処遇によりXの労働環境が特段変化していないことから、トイレに係る処遇は著しく不合理とはいえないと述べたのである。
最高裁判決は、再び人事院の判定を違法とした。最高裁は、①人事院の判定時にはXが女性用トイレを使用してもトラブルを想定し難く、これまでの使用でも生じていないこと、②説明会では数名の女性職員が違和感を抱いているように見えたとしても、明確に異議を唱える職員はいなかったこと、等を理由として挙げた。
最高裁判決の意義
以下では最高裁判決がどのような意義を持つか私見を述べる。
1)性自認に即して社会生活を送ることは重要な法的利益であることを明確にしたこと。性自認に基づいた性別で社会生活を送ることを保護された法益とすることに懐疑的であった高裁判決を覆し、最高裁判決は裁判官の補足意見に記されたようにトランスジェンダーが性自認に基づいて社会生活を送る利益は重要な法的利益であると位置付けた。この捉え方は、学校、職場、地域等におけるトランスジェンダーへの対応の根本になっていくと考えられる。
2)トランスジェンダーの職場環境を整備するに当たっては性的マイノリティと他の人々との間の利害調整は客観的かつ具体的に行う必要があること。補足意見の中で渡辺裁判官は、性的マイノリティに対する誤解や偏見がいまだ払拭できていない現状下でも、女性職員とXの利害調整を「感覚的・抽象的に行うことが許されるべきではなく、客観的かつ具体的」に行うことが必要であると述べている。性的マイノリティに制約を課すに当たっては、性的マジョリティの利益が本当に侵害されるおそれがあったのか、具体的・客観的な検討が求められているといえよう。
3)トランスジェンダーへの違和感を前提とすることなく、職場環境の整備が求められていること。宇賀裁判官は補足意見で、女性職員が違和感・羞恥心を抱いたとしても、それがトランスジェンダーへの不十分な理解に基づく可能性を指摘し、研修を実施することでそれは相当程度払拭できると指摘している。これを敷衍すれば、職場はトランスジェンダーへの違和感を前提とすることなくその払拭を行うこと、そして研修や啓発等をつうじた職場環境の整備が求められているといえよう。